駆け込み訴え / 太宰治

ちゆき

太宰治はお好きですか?

亡くなってから70年以上たちますが、2019年には小栗旬さん主演で「人間失格 太宰治と3人の女たち」という映画が作られていたり、今でも強烈な存在感がある作家ではないでしょうか。

私は中学と高校の頃によく読んでいて、芥川龍之介の小説も大好きで作中の気に入ったフレーズをノートに書き留めていました。
(私の思い詰めやすい性格はこの頃にだいぶ強化された気がします。いろんな人生経験を経てだいぶタフになってきていますが、笑)

太宰治というと「人間失格」や「斜陽」が代表作。教科書に載っているので「走れメロス」も有名ですね。でも今回は短編「駆け込み訴え」を紹介したいと思います。

とにかく文章の力がすごい。太宰治が口述したものを美智子夫人が記述するという書き方だったそうです。全文を淀みや言い直しなく口述した、という内容を美智子夫人が著書で回想しています。

まあもうとにかく怒涛の勢いで、語り手の人物がある男性への愛憎を語り続けています。一度も改行がありません。つまりひとつの段落だけで終わっている。短編とはいってもこんな作品を私は他に知りません。

語り手、そして彼が誰について話しているかは読んでいればわりとすぐに分かります。歴史の知識が必要といえばそうなりますが、かなり有名な人物です。

この語り手の気持ちの乱高下ぶりに読者も翻弄されます。「あの人は傲慢だ」「あの人は、阿保なくらいに自惚れ屋だ」と言ったかと思えば、「あんな美しい人はこの世に無い」と全力で尊ぶ。愛憎半ばする、ということばが当てはまりすぎている。自分自身のことについても全然心が安定していません。

あの人は嘘つきだ。旦那さま。あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった、あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目だ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。

こんな調子で一人称での語りが続いていくのですが、初めて読んだときはその息もつかせぬ文章に興奮さえおぼえました。こんな文章を書ける人がいるんだ!文章だけでこんなに人間の気持ちをエネルギッシュに鮮やかに表現できるなんて!ことばにするなら、そんなところでしょうか。鳥肌が立ちました。

そういえば以前勤めていた会社で仲良しだった先輩は、大学の卒論で太宰治の文体について書いていました。(正確なタイトルは忘れてしまいましたが)


「『駆け込み訴え』良いですよねー!」
「私は『女生徒』も好き!」
「あー、わかりますー!」

みたいな会話で盛り上がったのが懐かしい。20代の女性社員が休み時間に熱く語り合う内容としては珍しいですよね。

私が駆け込み訴えを読んだのは中学生の頃に買った新潮社文庫の「走れメロス」に載っていたからです。当時太宰治がマイブームだったので本を何冊も買っていましたが、個人的には「走れメロス」は好みではありません。

やっぱり彼には人間の暗いどうしようもない醜い感情を書いてもらわないと。


他の短編では、「女生徒」や「ヴィヨンの妻」が好きです。そして長編ではやっぱり「人間失格」。冒頭に出てくる「清く明るく朗らかな不信」ということばにはかなりの衝撃を受けました。

…だいぶ昔の根暗(死語)な文学少女だった頃の気持ちが蘇ってきましたが、太宰治が好きではなくても「駆け込み訴え」は一度読んでみてほしい作品、というより文章です。文庫本では20ページ弱。短時間で読めるのでぜひ!